引用:毎日新聞
2024年末、かつて世間を震撼させた植松聖(うえまつ・さとし)の“獄中結婚”が報じられ、再び注目が集まっています。
「この人ってどんな経歴の持ち主だったっけ?」
「なぜあんな事件を起こしたのか」
「今何をしているのか?」
この記事では、幼少期から学生時代、事件の背景やその後の動向まで、植松聖という人物の全貌をわかりやすくたどります。
幼少期と家庭環境
植松聖は1990年1月20日生まれ。出生地は東京都ですが、幼少期に家族で神奈川県相模原市(旧・津久井郡相模湖町)へ移住しています。家庭は両親と本人の3人家族で、父親は都内の小学校で図工教師、母親は漫画家。一人っ子として育ちました。
学生時代:表と裏の顔
小学生の頃から、知的障害者に対する差別的な発言を作文に綴るなど、幼少期から偏った思想が見られました。
一方で、中学ではバスケットボール部に所属し、成績も良好。
表向きは「優等生」でしたが、裏では喫煙・万引き・器物破損などの非行行為も繰り返していたといいます。
高校卒業後は大学に進学し、教員免許を取得。教師を目指すという将来の希望も一時は抱いていました。
社会人としてのキャリア
大学卒業後、当初は教育職に就かず、運送会社に勤務。
半年ほどで退職したのち、2012年12月に知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に非常勤職員として採用された。
翌2013年4月から常勤職員となりました。
当初は、
と話していたものの、勤務中の様子は徐々に変化。暴言・暴力、入れ墨、過激な思想の表出が目立ち始めます。
2015年には「障害者は皆殺しにすべきだ」との発言まで記録されており、周囲からは危険視されていました。
津久井やまゆり園事件とその後
2016年7月26日未明、刃物を持って津久井やまゆり園に侵入。
元同僚らが勤務する施設で入所者19人を殺害、26人に重軽傷を負わせるという戦後最悪級の大量殺傷事件を引き起こしました。
事件後、自ら警察に出頭し逮捕。
差別思想を堂々と語るなど反省の色は薄く、2020年3月には横浜地裁で死刑判決を受け、本人が控訴を取り下げたため刑が確定しました。
拘置所での言動と再審請求
東京拘置所に収監された後も、「世界平和のためにマリファナが必要」など、突飛な主張を続けています。
2022年には再審請求も行っていますが、現在に至るまで刑の執行はなされていません。
植松聖の基本プロフィールまとめ
項目 | 内容 |
---|---|
生年月日 | 1990年1月20日 |
家族構成 | 父:小学校教員、母:漫画家、一人っ子 |
学歴 | 大学卒(教員免許取得) |
職歴 | 運送会社→津久井やまゆり園(2012~2016) |
犯行 | 2016年7月:19人殺害、26人負傷 |
判決 | 2020年3月:死刑確定 |
近況 | 東京拘置所収監中、2022年に再審請求 |
まとめ
植松聖は、家庭的にはごく一般的な環境に育ち、一時は教員を目指していた人物でした。
しかし、幼少期から見られた差別的思想や反社会的傾向が次第に顕在化し、福祉施設職員という立場で重大事件を引き起こしました。
社会に与えた衝撃の大きさゆえ、今後も彼の動向が注視される存在となっています。




コメント