引用:https://t.livepocket.jp/e/ujjol
相模原障害者施設殺傷事件の犯人・植松聖(うえまつ・さとし)。
彼と獄中結婚した植松翼さんとのやり取りの中で、独特なタッチの絵がメディアに紹介され、再び注目を集めました。
その絵の上手さに「親の影響があるのでは?」といった声も上がっています。
この記事では、植松聖が育った家庭環境や両親の人物像に焦点を当て、彼の表現力の源泉にも迫ります。
両親の職業は?芸術一家に育った植松聖
植松聖、絵上手すぎて笑う pic.twitter.com/Qjef9aoNxY
— エッチキン (@F2YTr4xbPD17866) June 26, 2025
植松聖は一人っ子として育ちました。
父親:東京都内の小学校で図工教師
東京都内の小学校で図工教師を務めていました。
地域の自治会活動にも熱心に参加する人物だったとされ、教育熱心な一面がうかがえます。
母親:美大出身でプロの漫画家
一方、母親は美大出身でプロの漫画家として活動しており、家庭には芸術的な雰囲気が色濃く漂っていたといいます。
家には父親が描いたピカソ風の絵が飾られており、植松は幼少期から自然と美術に親しんでいたようです。
こうした背景から、植松が後に見せる絵の才能や、美術への興味は、両親の影響が大きかったと考えられています。
実際に彼が獄中で描いた絵や漫画についても、「母親譲りの迫力がある」と報じられたことがあります。
家庭の雰囲気と親子関係
裁判記録や関係者の証言によれば、植松家は**「ごく普通の温かい家庭」**であり、両親との関係も良好だったとされています。
高校時代の元交際相手は、
と語っています。
その後、両親は八王子のマンションへ転居し、植松を実家に一人残す形になりました。
事件計画を知った親の対応
事件の数か月前、植松は両親に対して「障害者を殺す」といった衝撃的な計画を打ち明けていました。
両親は当然ながら強く反対し、「そんなことをしても誰も幸せにならない」「周囲が悲しむ」と懸命に説得したとされています。
しかし、植松は考えを変えず、ついには実行に及んでしまいます。
事件後、両親はメディア取材には一切応じておらず、静かに暮らしていると見られます。
それでも、裁判では戸籍謄本の差し入れをするなど、一定の支援を続けていることも明らかになりました。
死刑判決後には、手紙のやり取りこそあるものの、両親は接見には訪れていないとの報道もあります。
まとめ
植松聖の両親は、父が図工教師、母が漫画家という芸術一家。
一人っ子として温かい家庭で育ったとされますが、大学以降の家庭内の不和や孤立も見え隠れします。
彼の絵の才能や美的感覚は、まさに親の影響による部分が大きかったといえるでしょう。
しかし、両親がどれだけ止めようとしたとしても、犯行を阻止するには至らなかった——そこに、事件の悲しさと難しさが浮かび上がります。





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